運動癖と運動依存症

ラン

ここ最近、自分なりにではあるが走ることを頑張っている。過去4週間累計で221㎞となっているので、ここ数年では一番走っている。これは新型コロナウィルスの影響で時間が出来たことも多いにある。大手との契約がクビになったことも一因。過去最大の体重増加で焦ったことも理由。色々なことが重なって、結果ここまでは走ることが継続出来た。

過去にもこんなことはあった。その時に何がどうだったのか記憶が定かではないが2016年6月は月間314㎞を積上げ、走ることでストレスを振り払うかのごとく、邁進していた。独立してもがいていた頃でもあり、かなりストレスフルであったのだろう。と思う。

性格分析

自分の性格でわかっていることはこれが長く続かないこと。何するにしても継続を続けることほど大事なことはないと思っている。何か1日1つ得るものがあるか。この意識をすることでだいぶ変わることはわかっているがそれが続かない性格だと自己分析している。どうすれば続く?

体を動かすことで筋肉、心配を鍛えて老化に立ち向かうのは心身ともにいいものであることはわかっている。何より自分の体を長く使いたい。動くことで何もかもがいい方向に向かうことは自分で立証済だ。食べ物にも気をつかうようになるし、お酒も少なくなる。また少しずつではあるが、体重計に現れる体重の減少、いくらかマシになったかな?と鏡の前にたち数ミリ凹んだ腹を見てウンウンと頷く。

何かのきっかけで突然やらなくなる。そしてそれは様々なものに影響を及ぼす。例えばこのブログもきっと止まる。『走る』ということが自分にとっての何かのスイッチになっているのかもしれない。

 

運動癖

運動癖というのはあるのか?自分ではあると思っている。運動をする『習慣』というよりは何かある一定の時期に打ち込んでいるような気がする。精神不安定の時期か?

年齢も40代半ばに差し掛かり、周りでも成人病を患っている人が出始めた。それだけ体を使ってきた証拠だろう。戦国時代なら死んでいたかもしれない年代である。現代の医学と食べ物に感謝して、死ぬ15分前まで病気知らずでいたいものだ。

昨日も夜中にチョロチョロと走りに出かけた。夕食の後、何となく外に。気温7度。何がそうさせるのか、目標距離数もないままに何やら出かけて途中でやめて公園の中を迷走して帰ってくる。という意味不明の行動だ。

Strava

これは運動習慣というよりも何か変な癖のような気がする。

 

筋力、心配の強化

運動をする過程で大小あれど筋肉や心配には負担がかかっている。筋肉の繊維を破壊し、体を消耗させる行為でもあるので、その後のパワーアップ効果は運動後の回復過程で身につくもの。特に素人の中年が体重オーバーの状態では怪我のリスクとも隣り合わせだ。トレーニングは回復がセットになって意味を成すのだ。気を付けることにする。(ま、この程度の距離ではそこまでのものではないのだが。)

 

運動月間継続の為に

頑張りすぎないこと。体を動かせばお腹もすく。意識が高いうちはいいのかもしれないが、元来甘いものも、辛いものも、お酒好き。という何でも受け入れる体である。今でこそ体重計に乗って気遣いしているが、何かの拍子にタガが外れて大きく狂い始める可能性がある。ここまでの数々の失敗を含むダイエット経験を活かしゆっくりと月1キロの体重を落とせればそれで良し。という気持ちでいようと思う。長く習慣づけること。そして目標の10月のメルボルンマラソンに向けての努力を継続。
何よりボディメイクは重要だ。まずはBMI25を切ってメタボ抜けを目指す。でも継続の為に無理はしないようにする。

 

ランニング依存症

こんな記事を見つけた。

Running addiction is real—and dangerous
A healthy pursuit can quickly become an unhealthy overindulgence.

英語の記事だが超ざーっくりしたものだがこんな感じ。

 

ランニング依存症に陥ったアレックスのケース

週3回ランニングしていたアレックスはランニングにはまりにはまり、週10回トレーニングするように。いつしかトレーニングできない日があるとイラつくようになる。健康を追究するあまり精神的にも肉体的にも限界が来ているのに走り続けていた。

 

その後&どうやって起こるのか

やせたい。健康的な体重に。といところからスタートするランニング。1ヶ月も経つと周りの友人から体型がスリムになった。とかお気に入りの洋服が着れるように。さらにはランニング仲間から色々と教わることも出てくる。そうなると競争意識も。

5㎞のランにングに慣れてくると、10㎞のランニングに。ランニングに時間を費やすため、ランチブレークの時間を削ったりもする。同僚とランチできなくても気にしない。さらなる高みを目指して雪だるま式に距離を伸ばし、ハーフの距離へ。

人によってはこのあたりから厳しくなり、自尊心を保つ為にランニングを続ける。ランニングをサボることが悪。と考えるようになる。ここまでくると『走らなければならない』という固定観念にさいなまれるようになる。

研究によるとアスリートであることを強く認識している人や自分の体格にコンプレックスを持っている人ほど、こうなる傾向にあるとのこと。加えて自分の価値を『成功や達成』に重きを置いている人ほど、失敗した時の精神的ショックや精神的幸福度が下がるという。

 

非論理的

『走らなければ』、『走らないと自分に価値がうまれない』という感情は一部の心理療法では非論理的なものと考えられている。同時にこれらの感情を強く持つ人には『アルコール依存』、『インターネット依存』、『運動依存』を生む可能性が高いことも立証されている。

このような症状を持つ方の為に、目標やゴールを論理的に考えていくよう示唆している。そうすることでモチベーションも上がるし、回復に対することも考えるようになる。さらに目標を達成することで社会的な不安を経つこともできる。物事を論理的に考え、『走らなければ』という感情よりも息して、食べて、飲んで、寝るほうが大事。

ランニングはただ一つの選択肢。トレーニングセッションを逃したことで、罪悪感を感じる必要は全くない。そもそもランニング自体が人格を形成するものではないし。『良いランナー=良い人』ではない。つまり『悪いランナー=悪い人』ともならない。

”ランニングが精神的にも身体的にもヘルシーであることは明白。でも『走りたい』から『走らなければ』と気持ちがシフトしていくのはリスクである”とも。

※訳は完全に自分流の都合のいいものなので、和訳違いや違和感はご容赦頂きたい。

 

自分としては考えすぎず、軽くいこうぜ!くらいの解釈なのだが、ここまでいくのは目標もゴールも非常に高い人なのかも。誰にでも潜むものかもしれないし、自分自身も誰かを見返してやる。という気持ち、ダイエットもここまではやる!というのも『そこそこに』と解釈するくらいがちょうどいい。と思っているところ。

さて、ラーメンでも食べるかね。

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